きもったま母ちゃん桜です(^^)v
今でこそ肝っ玉母ちゃんなんて名乗っていますが…( ̄▽ ̄;)
当時の桜母ちゃんは心配で心配で
ひとたびカテーテル検査ともなると気が気ではありませんでした。
(´д`|||)
なぜなら、
危険の伴う検査だからです。
次の手術の方針が決まるまで、
心臓が少しでも大きく、
強く育つまで、
何度も何度もひまわりちゃんはカテーテル検査を受けました。
生後2ヶ月で姑息術をした時に同室だった3人のうち、
一人は元気に退院していきました。
一人は退院後に…感染症で亡くなりました。
大切な大切な友達です。
その子のママは、そんな辛い想いをしたにも関わらず、未だに桜母ちゃんを支えていてくれています。
そして、もう一人は…カテーテル検査中に亡くなりました。
ひまわりちゃんと共に戦っていた赤ちゃんたちが、亡くなっていく。
カテーテル検査中に不整脈が起きてICUに運ばれていく子もいる。
正直、
怖くてたまらなかったです。
こんな弱っちい母親でごめんって。
何もしてあげられなくてごめんって。
いつもいつも思っていました。
それでも、
ひまわりちゃんは強かった!
何度カテーテル検査を受けても
時間通り、無事に帰ってきてくれた
(〃´o`)=3
この子は生きるために今ここに居るんだ!私が弱音を吐いたらいけない!
毎回そう言い聞かせて来ました。
しかし、年齢を重ねる度、
カテーテル検査の後が大変になってきました( TДT)
カテーテル検査の後は丸一日足の付け根を動かすことが出来ないように固定され、
食事も寝たまま取ります。
赤ちゃんの頃は固定された足を真っ直ぐにしたまま抱いてあげることも出来ましたが、
一歳頃、身体が段々大きくなってきて、
またひまわりちゃんも動き回りたい盛りになると
足を曲げたくて大暴れ(;>_<;)
桜母ちゃんもう必死でした。
2歳頃になると、
『座りたい~!!!!!』
と、大暴れに加えて、叫ぶ叫ぶ( TДT)
3歳頃にはオムツが取れ始めていて、
寝たまま、おしっこをするのが嫌だとギャン泣きしてみたり…( ̄▽ ̄;)
その頃になると何故か、
麻酔から覚めるときに嘔吐をするようにもなりました。
ある時は、消毒に大量に使われたイソジンで、おしりの後ろまでイソジン焼けを起こし、何ヵ月も真っ黒のままだったり…。
↑これはよくあることみたいですが、少しずつ薄くなっていきますq(^-^q)
なんと言っても
カテーテル検査は大変(。>д<)
毎回被爆するしね。
ひまわりちゃん、毎回よく頑張った!!!
頑張ってる!あたし!
頑張ってる!天使ママ!
頑張ってる!病気っ子ママ!
頑張ってる!自閉っ子ママ!
頑張ってる!シンママ・シンパパ!
頑張れ!脱モラハラ!
自分らしく生きよう! 桜