きもったま母ちゃん桜です(^^)v
数日前にも書いた通り、
当時、桜母ちゃんはモラルハラスメントの中から抜け出すなんて、到底出来ないことだと思っていました。
何度離婚したいと申し出ても、
もうあなたに対して気持ちはないと伝えても、
話し合いは通用しないし、
桜母ちゃんの話は
本気だと思われた事はなく…。
モラ夫の
お前は俺を愛している。
という確信はすごいものでした。
有り難いような、ではもう少し大切にしてもらいたいような…。(-""-;)
もう無理だ
と離婚を諦めていた桜母ちゃんが
何故突然、
離婚に向けて動き始めることになったのか。
それは…。
桜母ちゃんが動けなくなったからでした(-""-;)
今は実家に戻り自分らしさを少しずつ取り戻しつつある桜母ちゃんですが、
(お前は実家に行くと態度がデカい!!!とモラ夫によく怒られたことを思い出します(^-^;)いや、これが、素の私ですけど?みんなと普通に笑ったり話をしてるだけだけど?とよく思ったものです)
当時、離婚は現実的では無いと思っていた頃、桜母ちゃんは徐々に体調をくずし始めました。
鬱っぽくなり、気分の浮き沈みが日によって違いました。意味もなく、涙が溢れて来たり、夜、一時間ごとに目が覚めたりと夜眠ることが難しくなってきました。
その分昼間に眠気が襲ってきます。
働きながらも、立ったままでも眠気に負けてしまいそうになるほどの眠気を覚えました。
モラ夫によって禁止されました。
(心療内科の先生は、普通、薬を飲むとか飲まないとかは本人が決めることなんだけどね…。と困惑していました。)
夜眠れない。昼も眠るわけにはいかない。
段々身体はしんどくなってきて、不整脈が出るようになりました。
不整脈と言っても、期外収縮と言って、1拍脈が跳んだように感じるもので、一日に800回ほど跳ぶ程度だったので、様子を見て一年に一回、24時間心電図をとる位でしたが、
二年も過ぎると、脈が跳ぶ度に
一瞬息が詰まるような感覚が頻繁になり、
苦しく思うようになりました。
(期外収縮は感じない人もいるらしいのですが、何故か桜母ちゃん敏感に感じ取ってしまう身体のタイプだったようで…。(-""-;))
しかも、当時、正規職員で保育士として働いていた桜母ちゃん。
朝7:30には二ヶ所の保育所に子どもたちを送っていき、(二人別々の保育所にしか入れなかったんですよー泣ける!(>_<))
8:30~17:30の勤務。
18:00には保育所にダッシュでお迎え!
ご飯を作って片付けをして、お風呂に入れて、21:00には寝かせる!
また翌日7:30には保育所へ。
という中々ハードな生活を送りつつ、正規職員であったため、月に1~2回ほど、仕事が終わってから研修に出掛けないと行けませんでした。
研修先まで車で1時間、
研修2時間、
帰り道また1時間。
家にたどり着くのは夜22時…。(-""-;)
そんな日はモラ夫と義母とで子どもたちの世話をします。
しかし…。
子ども達は私でないと寝ない…。
ある時にはその時間にお風呂も入ってなかったり…。(泣ける!)
私もグッタリ…。
そして、
何よりも泣けるのは…。
皆さんもよくご存じかと思いますが
保育士は本当にお給料が少ないo(T□T)o
これだけの労働時間、研修、持ち帰りの仕事、積み重なる書類の束…。
それでも桜母ちゃんの手取り(保険料とか抜いて、実質手元に残るお金)は…。
12万円でした(-""-;)
パートさんでフルタイム働いてた保育士さんより少なかったです(涙)
まぁ、お給料の話はとりあえず置いておいて(笑)
そんな状況で働いていて、家ではモラ夫に脅かされ…。
ついに桜母ちゃんは右耳が聞こえなくなりました(;´_ゝ`)
そして遂に、メニエール病を発症し、
目が回り吐き続ける日々が始まりました…。
もう、仕事を続けられる状況ではなくなりました。
あまりに毎日胃が痛くなり、吐き続けるので、
胃カメラを飲みました。
初めての胃カメラ!
桜母ちゃんは自分の胃の中を初めて見ました!
『うわー!ツルッツルッで綺麗なピンク(^^)』
なーんて思いながら見ていたら、
胃の中って…。
ツルツルじゃないんですね(-""-;)
ヒダが沢山あるのだそうです(笑)
私の胃の中は萎縮胃炎と診断され
『老化です』
と言われました…。
はい?(;・∀・)
私、お婆ちゃん?
人の胃は歳をとるに連れて6段階に分けて少しずつヒダが無くなっていき、消化機能が衰えて行くのだそうです。
そうそして、桜母ちゃんは30台にして、
ヒダが一つもない…。ツルツルピッカピカ…。(゜ロ゜;ノ)ノ
おばーちゃんだ。
ピロリ菌もいなかったので、ストレスだけでここまでは来てしまったらしい。…。
そんなボロボロの桜母ちゃんに、
実家の母が気が付いてくれたのです。
私はそれまで、母に心配かけてはいけないと、
また、周りにも上手くいっていると見栄を張るというか、モラ夫の本性は誰にも話してきませんでした。
だから、母が
『もういいよ。戻っておいで。このままじゃ、あんた死んじゃうよ』
と受け止めてくれたとき、
涙が溢れて、
初めて…。
今まであったことを話せたのでした。
それからです。
母は激怒して、離婚に向けて母が動き始めてくれたのです。
なにせ私にはもう、
動く気力が無くなっていたのです。
頑張ってる!あたし!
頑張ってる!天使ママ!
頑張ってる!病気っ子ママ!
頑張ってる!自閉っ子ママ!
頑張ってる!シンママ・シンパパ!
頑張れ!脱モラハラ!
自分らしく生きよう! 桜